アイドルマスターSideMというもの

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい 」

 アイドルマスターSideMというコンテンツがある。
近年急激に増えた女性向けアイドルコンテンツに、アイドルマスターも乗ったものだと思われる。
制作側はしかし、「アイドルマスターの男性アイドル版で、女性向けではない」というようなことを宣っていたように思う。
これが良くなかった、と私は思い起こす。
新規開拓と勢力拡大の二兎を追ったのだ。

 私はプロデューサーである。
だがなんのことはない、このコンテンツのファン(元々はゲームだったのでゲームのプレイヤー)を「プロデューサー」と呼称しているからプロデューサーなのである。
当然なんの権限も持ち合わせず、精々お問い合わせに苦言を呈したりして、慇懃無礼な回答を頂戴するのが関の山だ。しかもそのためにゲームにたっぷりと課金をして、良かったと思うところを褒め称え、そうして本題のお小言をちょっと付け加える。金も払わぬ輩の意見は無力。これに関して文句は無い。あちらさんとて慈善事業ではないのだ。

 アイマスは札束で殴り合う修羅の世界であるから、あまり近付かぬように、沼に落ちぬようにと重々忠告していた住職の言葉を一瞬で吹き飛ばしたのは、SideMのあるアイドルだった。
まだサービスが始まって間もなかった頃だ。 他所に行けば当たり前に声がついて、グッズも豊富、果ては楽曲もあるような中で、声もない、ゲームしかない、立ち絵4枚だけのアイドルを好きになった。
ソーシャルゲームというものにはまりこんだのはそれがはじめてで、周囲を見回してはいつ終了されるのかと心配もしていた。
制作側は「10年続くコンテンツだ」と息巻いていたが、生き馬の目を抜く勢いで新作だ新作だ、勢いもつかぬようなら終了だ、そういった流れの中でSideMは、ただ過去作のタイトルを頭に乗せ、それだけで安心しきって、他に比べれば見劣りするばかりのコンテンツを展開していた。はたから見れば裸の王様だっただろう。それでもこのコンテンツに残った者は、数枚のカードと履歴書、紙に起こせば2ページ足りるかもわからないコミック、たったそれだけでも強く惹かれるキャラクターがいた者と、「アイドルマスターという冠」を支持している者、大きく分けてこの二者だ。
言うまでもなく後者は、中身がどれほど優れていようとお粗末であろうと支持する者たちであり、一見ありがたく見えるが、SideMという毛色の違う土地を踏み荒らし、先住の者を追い払い、スポイルし、そして何食わぬ顔で去っていった。いくらかはまだこちらに顔を出すものもあるようだが、彼らが信奉するものは別にある。よそで金を落としていったりはしないのだ。新大陸の発見後、ネイティブアメリカンを迫害した白人たちを思い浮かべれば想像は容易いだろう。
そうして、いくらかは金を落とした者を追い出し、残ったのは強火のオタクたちだけになった。彼らは新規層を必死で取り込み、冠信奉者の蹴り出しより多く、蹴散らされぬように深く、人を誘い込んで、ようやく「このコンテンツのファン」と言える人を増やした。この頃、冠信奉者たちの多くは元いた場所に戻るか、周りが見えず「どのなおだよ」という彼らの内輪ジョークが笑いを取れなくなったことに首を傾げるばかりの阿呆が残り、程なくしていなくなった。もちろん中にはこの土地に馴染み、こちらとあちらは違う土地であると理解した者もいるが、それは少数に過ぎない。
 事のはじめからそこにいた者たちはだいたいが強火である。金を惜しまず湯水のように注ぎ込むが、その分ゴネれば厄介である。かと言って袖にするわけにもいかないのは部外者から見てもそれとなく分かるだろう。彼らは金払いが良いのだ。

 しかしてその強火を持ってしてもかばいきれない問題がある。ライブオンステージとかいう急ごしらえのアプリと、最も深刻なのは昨今のユニット格差である。
前者に関しては、もうどうにもフォローできないので割愛する。
おそらくだが後者は、男性向けであれば、例えばシンデレラのように把握しきれないほどの人数がバラバラにいるのなら、そこに人気による扱いの差があっても受け入れられるものなのかもしれない。しかしSideMのユーザーはおおよそが女性である。女子がどのような生態を持つか、小学校や中学校の頃を思い出してみてほしい。抜け駆けは許されないのだ。

 声優の発表もそこそこに、フライングと言ってもいい時期に開催されたファーストライブでは、6ユニットだけがステージに立った。手っ取り早く多く集金できるライブを焦ったのではないかと思う。この時生まれた格差は、念願のアニメにも波及し、今もまだ拡がるばかりで収束がつく様子はない。運営側もこれを問題視しておらず、是正する気もないようだ。彼らは、提供側でありながら冠信奉者でもある。Jupiterさえチヤホヤできればあとは知ったことではないし、ユーザーもJupiterが真ん中にいれば満足すると思い込んでいる。彼らにとってはそれが当然なのだろう。全員が過去作にも精通し、それらを絶賛している、という、一部にしか当てはまらない前提を(しかし彼らの周りはそういった人で溢れている)、例え黄緑のグッズが大量に売れ残っても、人気に差がついていると認識することもないのだろう。人気投票で明らかに不自然な工作をしても、疑問を持たれることなんてないだろうと楽観視するほどに。 かわいそうな天ヶ瀬冬馬、どうしてもストーリーに絡めたい輩の手で、貰ってもいない票を水増しされて、不自然に捩じ込まれて、真っ直ぐなあの子はどう感じただろう。

 それからいくらかの季節が過ぎ、15ユニットのCDが揃って、そこがスタートラインになるのだと思っていた。しかしあの頃既に、格差の拡がりは止めようもなくなっていた。あるいは、あの頃ならまだ取り返しがついたのかもしれない。今となっては水掛け論になるだけだ。

 振り返るに、私が疲れを感じはじめたのはその頃だったかもしれない。たった15ユニットなのに。ドラスタは分かる、彼らは315プロの看板だから。そこに捩じ込まれるJupiter。なんなんだ、昔他所で問題を起こしてきて、引き取ってやっただけなのに。彼らがいなければ起きなかった問題もたくさんあっただろう。私はJupiterが嫌いになった。カードを処分しCDを裁断しても、彼らは事務所にいた。先輩風を吹かさせられ、中身のない尊敬を受けていた。
どうしてだろう。事務所にはもっと、お互い尊敬しあえるアイドルがいて、同じスタートラインに立ったはずだったのに。

 私はプロデューサーではない。
なんのことはない、ただのライトなファンに過ぎない。もう目を剥くような金額をゲームに注ぎ込むこともないだろう。好きなユニットにだけ食指を動かし、あとはもう、何もしない。要望もクレームも無い。私はもはやこのコンテンツのターゲットではないのだ。この事を自覚した時は悲しかった。大好きだったものは知らぬ間に形を変え質を変え、手の中からすり抜けていった。
このゲームが10年続くとしても、井の中の蛙が裸の王様を褒め称えるが如き醜悪な形になるだろう。だがそこの蛙たちはおそらく幸せなんだろう。それを否定してどうこうしようとも思わない。
私は今までよりずっと遠くから、他人事としてそれを看過するだけだ。

 甘やかして駄目にすることを「スポイルする」と言うそうだ。何をしても褒めてやり、間違いを気付かせることもない。一見優しいように見えるかもしれない。これが本当に優しい行為かどうか、このコンテンツに残る人は考えてみてほしい。

 それでは、ごきげんよう。 315プロのアイドルは好きだけれど、私はこれ以上、この場所にいること、かないません。